日を記す

父、英語、漫画、プログラミング、バスケ、邦楽ロック、アニメ、ドラマその他

8/28

サイトブロッキングについて。

漫画村の件があって、政府ではタスクフォースが組まれ、何度も会議を行っているようだ。

あまり詳細は追えていないが、とりあえず某カワンゴさんがサイトブロッキングをゴリゴリに推進しているらしい。

こういう問題に関して公に(公=SNS)(これはもはや自明)発言すると何も良いことがないので何もいうべきではないが、少なくとも一度自分の頭で考えてみて、いつでも議論できるくらいには自分の意見を持っておいた方がいい。

というわけでしばらく考えてみたが、僕はサイトブロッキングには反対だ。

ただ、反対派の人たちの発言(=ツイート)を見ていると、どうもマッチョすぎるというか、インターネットの理念と反する!とか、あるべき姿でない!みたいな、ハナから議論する気のない、思考停止気味な意見が多すぎる気がする。

もう少し自分の言葉で反対する理由を書いてほしいなあ…。

というわけで、自分でも考えてみる。

タスクフォースでの反対意見で、「サイトブロッキングは効果がない」というものがある。これについては反対だ。ある一定の効果はあると思う。

問題は副作用の方だろう。サイトブロッキングが行われる世界を想像すると、ディストピア感がエグい。なんだろう。あまり細かく言語化するのは避けて、裁判に例えてみる。

裁判官になるための資格や条件が明確でなく、弁護士からすると「こいつら法律の素人じゃないか」みたいな変なおっさん達が裁判官をやっている。政府が選んだ訳の分からないおっさんや、民間の、声がでかい、過激派なおっさんが裁判官となり、犯罪者と思われる人物をバンバン裁いていく。

こんな感じだろうか…。

結局、あるサイトをブロッキングするかどうか、という判断を、公正に、誰もが納得できる形で、少なくとも裁判所における判決と同程度の尤もらしさをもって下すことは、不可能のように思える。

ITの世界は日進月歩だ。価値観や常識も頻繁にアップデートされる。関連法律を策定するのも難しい。中央機関がないから「正解」もないし、そもそも違法性の判断すらも困難だ。

そんな世界で、サイトブロッキングという「判決」をどうやって下すのだろう。

少なくとも現時点では、間違った判決や、特定の人間が得をするような怪しい判決や、制度を逆手に取った狡猾な判決などが氾濫するディストピアになる予感しかしない。

もしやるとしたら、まともな中央機関を作るところから始めるべきではないかな。

無理だと思うけど。

8/27

月曜日。

不祥私、プログラマーという職業をやっております。おそらくですが、世の中に数多ある仕事の中では比較的「楽しい」仕事だと思います。好きなことを仕事にしている感があります。

ですので、仕事もそんなに嫌じゃないというか、むしろ楽しいというか、お金もらって遊んでるみたいなもんじゃないですかー何これ楽しいーくらいに思ってたんですよ。以前は。

ところがどっこい、てやんでえべらぼうめ。最近全然楽しくない、むしろつまらん、はぁ月曜日、会社行きたくない。辞めたい。NEETになりたい。そんな風に思っておるわけです。

まさか自分が、月曜嫌いになるとは。正直予想していなかった。。

働くことそのものに疲れたというのもあるかもしれないけど、それ以上に、明確に、仕事がおもしろくない。おもしろくないというよりストレスがたまる。毎日毎日ムカつく。ムカつくやつがいる。がんばっても意味がない気がする…。(これが一番でかい)

まあ早く帰れるのはいいんだけど、なんやかんや仕事終わってなくて家でやったりもするし、なんだろう、今の仕事続ける意味あんのかな?

 

辞めたい。

8/26

土日の出来事を書く。

 

プロのカメラマンが無料で撮影してくれます!的なイベントが某ア○チャン本舗(伏せ字の意味とは)で開催されていたので参加した。

プロのカメラマンというよりも写真好きのお姉さんくらいの感じに思えたし、カメラも家にあるのと同じかそれより安そうな普通のデジタル一眼レフだったので、優良誤認表示では…と思わなくもなかったが、無料なので特に何も言わなかった。(有料でも何も言わなかっただろうけど)(有料と優良がややこしい)(というかこの場合別に優良誤認表示ではない(プロだからといって写真の質が優良かどうかは分からない)(経歴などを詐称していたら優良誤認かもしれないが、プロという言葉だけではカメラマンの仕事で収入を得たことがあるという以上の意味を表し得ない)(プロとは何か考えさせられる)(勝手に考えているだけ)

まあ、三人の写真を撮ること自体があまりないので、それだけでありがたい。しかも無料。無料バンザイ。

あらためて、写真に写った娘、かわいすぎ。三人の写真とか感動もんやわ。。

 

そのあとTeddy's Bigger Burgerで昼食。

このお店には以前ハワイに行ったとき適当に入った。ポテトがやたらうまいということで印象に残っており、いつか行きたいと思っていたので、念願叶ったという感じだ。

ハードルをあげまくったおかげで、「ああ、こんなもんか」という感じだった。まあ悪い店ではない。

 

クソ暑いのに歩いたのでとても疲れた。嫁と子供には悪いことをした。車を持っていれば…。車を持てるだけの経済力があれば…。世の中お金である。ふう。

 

家に帰って、娘に麦茶をあげてみた。

母乳/ミルク以外のものを口にするのは初めて。

結構乗り気で飲んでくれた。えらい。えらいぞ娘よ…。お父さんは君が麦茶をペチャペチャ飲んでくれただけで泣きそうだよ…。

 

夜はなかなか寝てくれなくて悪戦苦闘。嫁が疲弊しきっていたのでどうにかできないかと試行錯誤していたところ、大きめの声で子守唄を歌うことでかなり大人しくなることを発見。

今まで全く寝かしつけができなくて嫁任せだったのだが、これで少しはお役に立てるかもしれない。

いつも流している英語の歌(ABCとか、大きな栗の木の下でとか)をうろ覚えながら適当に歌っていたら、寝た。寝たよ!俺の腕の中で!娘が!寝た!

お昼とかならよくある話だが、夜のガチ寝という意味では初めてのことである。お父さん、感動。

 

日曜は基本的に家でゆっくり。昨日活動しすぎて疲れがたまりまくっているのでダラダラ。

夜はまた寝かしつけを手伝ったり。

 

たくさん感動したし、おでかけもしたしゆっくりもしたし(書いてないけど)プログラミングもしたしいい休日だった。

8/24

仕事疲れかなんなのか、異常に眠い。あと腰が痛い。

今日は久しぶりに会社の人たちと飲み会。楽しかった。

子供がいると非常に出かけづらいが、許してくれる嫁さんに感謝。

嫁の方は飲み会とか絶対いけないもんなあ…。非対称的すぎて罪悪感を感じる。

罪悪感を感じる一方で、片方が何かをできないからといって、本来ならそれをする子ができるもう片方までそれをやらずに我慢するのは違う気がする。

ので、しっかりと罪悪感を感じながらも出かけるときは出かける。

逆の立場になったら、同じように容認しようと思う。

 

…と、まあここまではお互いの頭の中で一致していると思うのだが、実際にはここに感情というのが絡んでくるから厄介である。

お土産買って帰ろう…。

8/20

眠い。

子供が夜中起きるからだと思う。

しかし、もしそうだとしたら、毎回授乳している嫁の方がより眠いはずで、自分よりも睡眠を削られている人間と二人きりの状態で「眠い」と呟けるほど僕は図太くない。

というわけで、家で「眠い」と言うことができない。

言いたいことが言えないというのは若干のストレスである。

しかし(二段落ぶり二回目)、僕は仕事で職場に行っているので、職場で「眠い」と発言することはできる。聞いて、反応を返してくれる人もいる。

ところが、嫁は基本的に家から出ない。出るとしても、娘と二人きりでちょっとした買い物や、子供を遊ばせられるような場所だけだ。

その場合、「眠い」と呟き、それに対して反応してくれ、そのあとも「いやー子供がさー夜起きるんすよねー眠いわー今日四時間しか寝てねえわー」なんてミサワ的会話をできる確率は、限りなく低いだろう。

つまり嫁の方が圧倒的に大変なわけで、それなのにグチグチ言ってる俺カコワルイ的な話なのだが、それにしても眠い。。ショートスリーパーになりたい。

8/19

相変わらず毎日書くことができない。うーむ、むずい。

 

そういえば、日記を書くにあたりなぜはてブロを選んだのか、自分でも理由を整理しきれていなかったので、改めて考えた。

 

日記を書くときにいくつか選択肢がある。紙の日記。SNS。ブログサービス(はてブロなど)。自分でサーバをたててブログ的なシステムを構築し、ドメインを取って、公開する(これはWebエンジニア特有の選択肢)。

だいたいこんな感じだろうか。

あ、あと日記を書くアプリというのもあるな。瞬間日記とか。

 

というわけで、大別して五種類くらいの選択肢があるような気がしていて、その中で僕ははてなブログというブログサービスを選んだ。

 

その理由のうちの一つは、自分のためだけに書くと言いつつ、誰か読者が居ないと書くモチベーションが続かないということ。

いわゆる承認欲求というやつだろうか。ちょっと違うか。僕のような怠惰な人間は外的要因や外的圧力がないと何もできないので、「読者が少なくとも一人はいる」という状況を作りたかった、という方がより現実に近いかもしれない。

 

もう一つは、テキストサイトやブログに対する憧れがあった、ように思う。今となってはだけど。

テキストサイト全盛期にリアルタイムでネットをしていたわけでないが、侍魂やりどみや探偵ファイルや残鉄剣やろじぱらや一流ホームページ等々を知っている程度にはテキストサイトにハマっていたし、エヴァSSサイトとか読みあさりまくったし、未だに人のブログをよく読む。

なんかよく分からんアフィカスウンコブロガー達(残念ながら自分と同世代や少し下が多い。イケハヤあたりに騙されているのだろう。合掌)のブログは基本的に面白くないので見ていないけど、はてブの上位によく入ってくる人たちの中でも面白いブログはたくさんあるのでちょいちょい読んでいる。

そういう、テキスト一つで人に娯楽を提供できる人たちを、僕はすごくとても大変かっこいいと思っている。好きだ。

(絵日記的なのも好きだけど、テキスト一つで、という言葉を使いたかっただけなので許してほしい)

(誰に許しを乞うているのか)

そういうコンテンツ性あふれた文章を書けるようになる可能性が万に一つでもあるのであれば、全公開の環境で文章を書いてみるのも良いかな、なんて思ってしまったのだろう。たぶん。過去の自分のことはよく分からないけれども。

 

今二つの理由を挙げたが、実はもっと直接的な理由がある。

最近よく読んでいるブログ(というか日記)があり、そのブログを読んでいて、なんとなく自分も書いてみようという気になったからだ。

そのブログに書いてあることは、まあ八割くらいは全然賛同できなかったり、すごくモヤモヤしたりするし、そもそも内容が非常にプライベートで、コンテンツ性も大変に乏しい。

それでも、なぜか読んでしまう魅力がある。

なぜかは分からない。

分からないけど、確信はないけれども、おそらく、僕はその人の「日本語」が好きなのだと思う。

その人は日本語をすごく大切にしていて、書く文章からもそのことがにじみ出ていて、その人の誠実さや真摯な姿勢を感じることができる。ような気がする。

そのことが心地よいと同時に、自分もこんな文章が書けるようになりたいという羨望を抱いてしまっている。のだと思う。

自分の感情を言語化するのは難しいけど、まあこんな感じだろう。

 

僕は物書きについては完全なるど素人だし、何の経験もない。

でも、書き続ければ何かが変わるかもしれない。そう信じて、何でも良いから書いてみようと思う。

この日記はその第一歩でもある。

 

…と、ここまで考えてアカウントを取ったわけではないけれど、このようなニュアンスの感情が頭の隅っこにモヤモヤとした糸のかたまりのような状態で芽生えていたような気がする。うん、きっとそう。

 

この日記の書き方や文体は、その日記に露骨な影響を受けている。

文体を真似しているわけではない(真似できるほどの技量もない)けど、明確に意識はしている。参考にしているというか。

 

日本語とか物書きについての勉強もしてみたいところだけど、とりあえず、文章をたくさん書いて、アウトプット慣れしていくことからはじめよう…。

 

先は長い。

8/16

久々の仕事。

なんだかよく分からない雑務的あるいはマネージャー的あるいはPM的仕事が多くて、エンジニアとして本来すべき(生産性が高いという意味で)仕事があまりできていない気がする。

どんな組織であっても、エンジニアの生産性がもっとも高いのはコードを書いているときだというのが僕の考えだし、この考え方は割と一般的な気がする。

気がするのだが、やれミーティングや、机上の空論であるところの設計や、変な人たちと仕様を詰めるためのコミュニケーションが大切だという人が、少なくとも弊社においては、多い気がする。あとは人の管理とか。

エンジニアの専門性とか生産性について本気で考えたことがないのだろうか。

僕はまだ若手(キャリア的には)(年齢的には…そんなに若くはない)だけど、エンジニアがどうあるべきかとか、世界的に成功しているテック企業はなぜ成功しているのかとか、そういうことは常日頃から考えているし、情報収集しているし、仕事でもなるべく実践するようにしている。

だが、そういう人は意外と少ないのかもしれない。

愚者は経験に学ぶというし、自分の今までのキャリアの延長上でしか物事を考えられないんだろうな。

技術を大事にしない人たちと働くのは疲れる…。

 

夜はかわいいかわいい我が娘と戯れる。

めちゃめちゃかわいくて癒されまくるのだが、やはり世話は大変だ。

言葉の通じないこのちっちゃな生き物と、24時間共に過ごしている嫁は本当にすごい。もっと感謝の意を表さなければいけないな…。